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神戸地方裁判所 昭和28年(ワ)689号 判決

神戸市生田区楠町一丁目一一番地の一

原告 杉原務

右訴訟代理人弁護士 中元勇

同 沢田竹治郎

右訴訟復代理人弁護士 清水賀一

同 仲武

神戸市

被告 神戸市

右代理者市長 原口忠次郎

右訴訟代理人弁護士 安藤真一

右訴訟復代理人弁護士 奥村孝

同 阿部清治

右当事者間の昭和二八年(ワ)第六八九号契約無効確認等請求事件について、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求はいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

一、原告に対し、被告神戸市は別紙第一物件目録、同第二物件目録記載の土地が原告の所有であることを確認する。

二、原告に対し、被告神戸市は別紙第一物件目録記載の土地につき、神戸区裁判所昭和二〇年九月五日受付第三二八八号を以ってなした昭和二〇年八月三一日付譲渡を原因とする被告神戸市のための所有権取得登記の抹消登記手続をなせ。

三、原告に対し、被告神戸市は別紙第二物件目録記載の土地につき、所有権移転登記手続をせよ。

四、原告に対し、被告神戸市は別紙第一物件目録、同第二物件目録記載の土地を明渡せ。

五、訴訟費用は被告神戸市の負担とする。

との判決ならびに第四項につき仮執行の宣言を求める。

第二、請求の趣旨に対する答弁

一、原告の請求を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

≪以下事実省略≫

理由

第一、本件土地の所有管理関係について

一、(明治二二年町村制の実施に至るまでの所有管理関係)

明治二二年町村制実施に至るまでの本件土地の利用関係は必ずしも明白ではないが、≪証拠省略≫を総合すれば、訴外十三部落の各村は、徳川時代は一部は尼ヶ崎領、他は摩耶山を併せて徳川家直轄の天領等に属しその支配を受け、明治初年の廃藩とともに兵庫県の管轄となり右十三部落は兵庫県摂津国菟原郡都賀庄と称していたこと、又右十三部落(各部落とも村と称した)は徳川時代より年貢を納め中一里山、長峰山(本件土地もこれに包含されるものと窺知される)に立入り、規約を定め木柴草を苅取り、石を採取するなどの収益をなしていたこと、更に明治初年、時の政府が土地所有の証として地券を下付する旨の布告を発した際、右中一里山の地元である山田荘一三ヶ村は訴外十三部落等三八ヶ町村を相手として兵庫裁判所に訴を提起し、右中一里山は山田荘の持山であり、被告三八ヶ町村は山税を支払い中一里山において柴草を苅るなど入会をなしているにすぎないから地券は山田荘に下付されるべきものである旨主張したのであるが、敗訴し、控訴審たる大阪上等裁判所も明治九年一一月、右中一里山は右被告三八ヶ町村の所有するものである旨裁決したので、地券は右被告町村に下付されたこと以上の事実を認めることができ、更に当裁判所に顕著な明治八年七月八日地租改正事務局議定の地租改正処分規則第三章第一条「山林原野等簿冊ニ明記アルモノハ勿論従来甲乙村入会等ノ証跡アルモノハ民有地トシ其証跡ナキモノハ官有地第三種ト定メ内務省の処分ニ帰スヘシ但証跡ハ本局乙第三号達ニ準拠スヘシ」との規定、同じく明治八年六月二二日地租改正事務局達乙第三号「各地方山林原野池溝等(有税無税ニ拘ハラス)官民有区別之儀ハ証拠トスヘキ書類有之者ハ勿論区別判然可致候得共従来数村入会又ハ一村持某々数人持等積年慣行存在致シ此隣郡村ニ於テモ其所ニ限リ進退致来候ニ無相違旨保証致シ候地所ハ仮令簿冊ニ明記無之其慣行ヲ以民有ノ確証ト視認シ是ヲ民有地ニ編入候儀ト可相心得」との通達明治七年太政官布告第一二〇号地所、名称、区別改正法等より見ればその当時政府は山林原野の民有官有の区別を従来の慣行にもとづいて決定する方針を示しており、地方官庁もこれに従っていたこと又山林原野のうち右の区分により民有地とされたものについては地券が下付されていたが官有地とされたものには地券が下付されなかったこと、従ってその後右地券による地籍に従い土地台帳が作成されたがそれには中一里山については五毛村外一二ヶ村長峰山については大石村外一二ヶ村と共有人名簿に記入されているところから見れば本件土地が官民有の区分については民有地に編入されたものであることは容易に窺うことができる。

二、(町村制の実施以後、昭和四年訴外十三部落が神戸市に合併されるまでの間の本件土地の所有管理関係)

(1)  ≪証拠省略≫を総合すれば、訴外十三部落は明治二二年の町村制の実施による町村合併により、武庫郡西灘村、都賀浜村(後の西郷町)、六甲村の各行政町村に所属することとなり、本件土地は明治二二年から大正四年にかけて訴外十三部落の共有名義で所有権の登記がなされ(但し一部の土地は大正元年右部落が葺合村より交換により取得した)、土地台帳に右十三部落の共有する物件として記載された(共有者の表示として、登記簿上は西灘村の内森村、土地台帳上は共有者住所西灘村氏名森村というように旧村名が記載されている)との事実及び右町村合併に当って本件土地に関し特に右三町村との間に条件その他についての何等の取極めを為した事実のないことを認めることができ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(2)  ≪証拠省略≫を総合すれば次の各事実を認めることができる。

即ち、明治年間より昭和初年にかけて訴外十三部落(庄内一三ヶ村或は庄内組合十三ヶ村と称した)は本件土地を含む中一里山、長峰山の土地(庄内入会山、立会十三ヶ部落入会山と称した。その範囲は証拠上明らかではないが、本件では特にこの点が争点とはなっていないので、以下本件土地に限定して判断を進める)において規約を定め後記認定の如き収益をなし、監視人をおいてこれを管理および支配してきた。

而して、右収益権の管理は十三部落に帰属しており、収益を許されていた者は十三部落の住民中各部落に本籍を置くなど一定の資格を有する者に限られ、分家および新居住者には収益が許されなかった(部落によっては分家および新居住者に対し村入りの手続をなすことを条件に右の資格を与えていたところもあった)。

十三部落の各部落は、右の如き資格を有する住民の会議(参会と称する)によってその代表者(組長と称し、多くの場合同一人物が町村長の嘱託による区長を兼ていた)を選び、各部落の組長十三名が連合体を組織し、これを庄内会と称した。

右庄内会は、規約を作成し、収益権者の資格、本件土地の利用、管理、処分の方法、採取しうる毛上の範囲を決定し、庄内会を組織する組長のうち一名が任期一年で順次庄内会の会長(年番、庄内年番、庄内組合年番と称した。以下単に年番と略称する。)となった。

庄内会年番は外部に対し十三部落を代表し、後記認定の如く私人を相手として契約を締結し、部落の会計を主宰していた。そして年番は十三部落の代表者としての資格で右部落のために兵庫県、税務署、営林署、山田村等の諸官庁に対し各種の届出、顔出、納税をなし、右の諸官庁も十三部落を本件土地の所有者と認め、右部落に課税し、年番に対し許可等の行政行為ないしは各種の連絡、通知をなしていた。

十三部落の住民(以下収益資格を有する者に限定する)が本件土地においてなしうる収益行為は芝草、諸花類、浮石、用材、薪炭用雑木、土、松葺等の採取行為であったが、右の採取については規約(長峰山規約等と称する)の定めによって制限が加えられる場合もあり、例えば中一里山における松樹の伐取は自家用に限り許されたが(但し砂防地区、造林を行なった場所での伐取は許されなかった)、長峰山における松樹の伐取は許されず浮石の採取は川端川筋の石を取ることは禁止されていた。又採取する毛上によっては年番の許可を必要とする場合もあり、松葺については十三部落年番の主催する入札も行われた。そして一般的に部落民のなす毛上の採取は自家用のものについては無償となっていたが営利を目的とするものは入山料を支払うことが要求されていた。

又年番は部落民以外の者に対して用材を売却し、入山料を徴収して本件土地における諸花類、シキビ、青菜の伐取を許可し、更に本件土地を他に賃貸し、或は地代を徴して地上権を設定し、土地を売却する(神戸市合併直前、長峰山の土地の一部約三万坪を売却した)等の収益行為をなしていた。

更に、十三部落が右の如き収益行為によって得た金額は年番がこれを保管し、これをもって十三部落に対する公租公課、監視人の報酬等の所謂管理費用の支払に宛て、或は学校の建設資金にこれを寄付するなどの用途に支出し、残金がある場合には各部落に分配することもあった。そして年番は十三部落の収支の計算をなし、庄内会に決算の報告をなし、その承認を受けていた。

而して、右の如き十三部落の本件土地に対する管理行為は十三部落自身(庄内会)の意思に基いて行っていたもので、右部落の所在する町村長はこれに指示を与え或は干渉することはなかった、尤も大正一二、三年頃から右町村長等が土地の賃貸、地上権の設定、地上権譲渡の承認、一部土地の売買契約等について契約の締結や登記手続等に関与した事はあるが、これもただ十三部落が不動産登記を要する法律行為をなした場合又は第三者がこれを希望する等の事情がある場合に、右町村長が、すでに決定された部落の意思にもとづき、本件土地の財産管理者としての資格で町村会の議決を経て登記手続をなし又は契約の当事者となることがあるにすぎなかった。

三、(昭和四年訴外十三部落が被告神戸市に合併されて以後の本件土地の所有管理関係)

≪証拠省略≫を総合すると、十三部落の所在町村である西灘村、西郷町、六甲村は昭和四年四月一日被告神戸市と合併し、その際の合併に関する協定中には右町村ごとに「部落有財産ハ合併前日ニ於ケル状態ノママ存続継承スルモノトス」旨の記載があり、西郷町との協定事項には右の文句の外「其の管理処分については部落の意思を尊重すること」なる語句が付加されていること(もっとも右記載が如何なる意味をもつものであるのかは明白ではないが、この点については後に判断する)、十三部落は、右町村の被告神戸市合併後、同市当局の指導にもとづき、同市の所謂部落有財産に関する行政慣行に従い前記庄内会の名称を灘十三大字連合協議会と改め、協議会規定を作成し、前記組長を協議会長、年番を連合協議会長或は連合協議会年番と称するに至ったこと、右協議会規定の第一条には……その財産の管理処分並に事務につき財産管理者を補佐し……とあり、又第十二条には、市長又は議員の三分の一以上より請求あるときは議長は会議を開く事を要すとあり、本件土地の管理者が市長であることを認めていること、又市は十三部落に対し重要なる法律行為については、右協議会にて議決する前市長に対し議案について発案認可の申請をし、その許可を得て協議に附すよう指導していたこと、又神戸市当局は十三部落が前記の如く利用収益していた本件土地を当時の市制にいう一部有財産(地方自治法では財産区、当時神戸市では部落有財産と称していた)として取扱い、十三部落が本件土地において収益をなし、或はこれを管理処分するについても、神戸市当局がこれに関与し、神戸市長が、本件土地の財産管理者としての資格で県知事に対し届出をなし、又は第三者から、本件土地の地代を請求及び徴収をなし、十三部落に代って訴提起をなし菌蕈類の入札手続を主催しその払下代金を受けとり、これ等の金員を十三部落のために保管するというが如きことが行なわれるようになったこと等が認められる。しかし、前記甲第八五号証(十三部落の金銭出納簿)と乙第七号証(市の保管する部落有財産台帳)とを比較検討すると、前記神戸市当局が関与又は介入した分についての収支のみは市の帳簿に記載されているが、それも十三部落のために保管しているに過ぎず、毎年十三部落よりの下附申請に基き部落費用として十三部落に「下渡」されているに比し、部落の会計帳簿には右「下渡」された金員の他松茸払下代、松材伐採弁償金、貸地の地代等が記入され、その支出欄には各部落への分配金、地租及地租附加税等各租税金・寄附金、出張費等本件土地の管理運営に関する全般的な費用が記載されており、実質的にみれば、十三部落は所在町村の被告神戸市合併後も本件土地を右二において認定のところと同様の方法により自ら管理収益し、収支の計算をなしていたこと以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

四、そこで、以上認定の事実により本件土地の所有管理の関係(主として「財産区」に編入すべきものかどうか)について考察する。

先ず、前項までの事実関係によれば、本件土地を含む前記長峰山、中一里山の土地は徳川時代から訴外十三部落(立会十三ヶ村、庄内十三ヶ村と称した)の総有する入会地であり、右入会地において慣習に従い芝草、諸花類、用材、浮石等を採取する収益権は右部落民に帰属し、右収益権の管理は明治二二年の町村制の実施に至るまで住民の生活協同体(住民団体)たる十三部落に帰属する関係(数村持地入会)にあったものと認められる。

もっとも、本件にあっては、町村制実施に至るまでの右収益権の内容およびその管理の実態は証拠上必ずしも明白であるとはいえないのであるが、慣習上の権利である入会権の実態に即して考えれば、明治二四年頃に作成された十三部落の入会規約(前記甲第二六号証の一、二)は右部落のそれまでの入会慣行を成文化したものであると認めるのが相当であるし、これに加えて前記甲第五二号証(立会拾三ヶ村出入一件下済之覚)および同第七七号証(裁決書)をもってすれば、本件土地は徳川時代から十三部落の入会地であり、右部落民は右入会地で収益―入会権の行使をなしえたとの事実はこれを十分認め得るものというべきである。

そして、十三部落の右入会慣行が明治二二年の町村制の実施以後においても何等従前と変ることなく行われていたことは、前項までに認定したところなのであるから、慣習に基礎をおく入会権の主体者としての十三部落は、明治初年における自然村落が有していた行政上の組織単位としての側面が町村制の実施により新町村に移された後においても、なお入会団体として存続していたものというべきである。

而して、明治二二年町村制が施行されるに際し、内務省は、町村制の施行に伴う合併標準について訓令を発し(明治二一年六月内務省訓令第三五一号)、町村財産の処分について、「民法上ノ権利ハ町村ノ合併ニ就キ関係ヲ有セサルモノトス即各町村ニ於テ若シ町村タル資格ヲ以テ共有スルニ非スシテ町村住民又ハ土地所有者ニ於テ共同シテ所有シ又ハ維持共用セシ営造物又ハ山林原野田畑アルトキハ従来ノ侭タルヘシ」と言って居り、右の訓令に所謂民法上の権利というのは個人若くは数人共有の財産を含むことは勿論であるが、「若シ町村タル資格ヲ以テ共有スルニアラズシテ町村住民ニ於テ共同シテ所有シ……」てゐる財産は正しく本件土地のやうな入会権に基く財産を指してゐるものと言はなければならない。前述のやうに、入会権は、住民たる身分の得喪により、その権利を取得又は喪失するのであって、一面所有権たる性質を有するとはいへ、個々の住民に於て売買、質入する事は出来ず又相続の目的ともならないが、所有権者としての処分権の行使は、住民団体たる部落(本件では十三部落が共同して所有する関係にある)が行う所謂総有であって、団体所有権であるが、これは行政組織とは全く関係がない、その後十年を経て制定された民法に於て認められた入会権は右の既存事実を確認したものであって、民法上の制度から見れば本件土地の場合は共有の性質を有する入会権というに該当する。

ところが一方、同じ部落有財産と言っても、全然入会権に関係の無いものがある。而してその中で、収益力の大きい財産を有する部落は合併町村の統一に応ぜず、そのため「一市町村内ニ独立スル小組織ヲ存続シ又ハ造成スルコトヲ欲スルニアラス然レトモ強ヒテ此原則ヲ断行スルトキハ一地方ニ於テ正当ニ享有スル利益ヲ傷害スルノ恐レアリ故ニ概シテ此ノ旨趣ニ依テ論スヘカラサルモノアリ、大市町村ニ於テハ現今既ニ特別ノ財産ヲ有スル部落アリ、現今ノ小町村ヲ合併スルトキハ更ニ又此ノ如キ部落ヲ現出スヘシ其部落ハ即独立ノ権利ヲ存スルモノト謂フヘシ」(市町村制理由)という事になり、これ等の財産を一部有財産(財産区)としてその発言権を認め、会計を町村より分別し乍ら町村長の管理に委ねる事になったのである。

しかし、右のやうな理論は当時、十分理解されてゐなかったために、入会権に基く山林中にも、当時の政府の方針である部落有財産統一の線に沿い、町村有に統一されたものもあり、或いは一部有財産(財産区)として町村長の管理下に置かれたものもある半面、私有財産と異らない形のまま存続して来たものもあるというやうに、その取扱い、運用は千差万別であった、このことは、一つは一部有財産(財産区)に関する制度自体がアイマイであり幾多の疑義を含んでいたためでもあった、従って、この区別はその土地に対する入会権の態様によって決する以外に方法はない。

そこで本件土地について之を見るに、明治二二年、町村制が施行されて、十三部落が、夫々西灘村(五毛、上野、原田、岩屋、味泥、森、鍜治屋、稗田、畑原、河原)西郷町(大石、新在家)六甲村(篠原)の三町村に所属することになった際、本件土地の取扱に関して特に協議した形せきは見られない。又部落有財産が右のやうに三つの町村にまたがっているのであるから、前記訓令に「一町村ヲ分チテ二個以上の町村ニ属スルトキハ其ノ共有財産ハ之ヲ各部分ニ分割スヘシ」と言っているが、本件の場合は斯様な事にも触れた形せきがないし、又区会、区総会を設けることもしていない所から、最初は、町村側に於ても本件土地を一部有財産(財産区)とは見ていなかったのではないかと考へられる、ところがその後大正十二、三年頃から前記認定のやうに土地の賃貸、地上権の設定、一部土地の売却に見られるやうに三町村長が共同で、本件土地の管理者の資格で契約若くは登記手続を為しているが、これは、恐らくは原告主張のやうに、登記手続には登記法上の必要から町村長名義で行ったとも考へられるが、又町村側として本件土地を一部有財産(財産区)として取扱うべきだとして行ったとも推測し得る。

昭和四年、右の三町村が神戸市と合併したとき、その際の合併条件や、神戸市の指導による協議会設置の場合の協議会規定に見られるように、神戸市は合併当初から本件土地を一部有財産(財産区)として取扱うべきものと考えて出発したものと思われるが別に「財産区」として区会を設ける事も為さず、又会計も単に、その一部の保管事務を行っていたに過ぎず十三部落側の強固な組織に基く管理権の実行に対して、充分な行政権力は及ばず、僅かに前記三に於て認定した程度の介入しか為し得なかった、被告は、入会権に基く財産をも含めて、すべて部落有財産のうち、町村への統一に反対した分については之を一部有財産(財産区)とし、町村長の管理処分に服するものであると主張しているが民法に於て第一次的に慣習に従うべきものとされる入会権について直ちに右の如き立論は当てはまらない。

要するに本件土地は、往古土地所有関係の未だ確立しなかった時代より、十三部落の住民が、永年の間、育成、利用収益し、管理して来た入会山であってその管理処分権は住民団体たる十三部落にあり、この十三部落は行政組織とは別な入会団体である、従って本件土地は町村制には影響なく本来一部有財産(財産区)として取扱うべきではなかったと言う事が出来る。

第二、原告の本件土地の取得について

≪証拠省略≫を総合すれば、十三部落住民は、叙上の如く、本件土地において柴草を刈取る等の収益行為―入会行為をなしてきたのであるが、貨幣経済の発達と神戸市の発展による周辺部の都市化に伴い、十三部落はもはや一農村とし孤立を許されぬ状勢となり、本件土地の右の如き自然経済的な利用価値も減退し、昭和初年頃には本件土地の利用形態は貨幣経済的ものに転化してきていたこと(その意味で、本件土地に対する前記共有の性質を有する入会権は時勢の趨勢に伴い除々に共有権に変質し昭和一五年頃には利用権としての入会権はすでに消滅していたものというべきである従って本件売買に附しても入会権の存廃については全然問題になっていない)。そこで十三部落は本件土地を売却し、売得金を部落の厚生施設の整備に当てようとして、昭和初年頃から買手を物色していたが、本件土地の一部が砂防指定地区で利用の制限を受けていたこともあり、売買の成立は困難な状勢にあった。ところが、昭和一三年頃に至り訴外前田重太郎の仲介により、十三部落と原告との間に売買の交渉が進められ、十三部落は交渉委員を置いて原告と種々交渉した結果、昭和一五年四月三日、十三部落連合協議会の議決を経て、右連合協議会長井垣実太郎と原告との間に、本件土地(山林の地盤)とその地上の立木全部を原告に対し代金四五万円で売却する旨の売買契約が成立したこと、しかるに神戸市長は十三部落および原告の再三に亘る移転登記手続の執行願出に応じなかったため(前記の如く、不動産登記法上(旧不動産登記法第三十条)十三部落の名で登記申請をなすことは認められなかった)、原告所有の本件土地については、登記欠缺の状態が続いていたこと、以上の事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

なお、被告神戸市は、本件土地は同被告の一部有財産であり、十三部落はその所有者ではないから、原告が住民団体としての右部落から本件土地の所有権を取得することはあり得ない旨主張するが、その然らざることはすでに認定したところから明らかである。

又被告神戸市は、右売買物件の価格が四五万円という当時としては巨額なものであるにも拘らず売買契約書が作成されておらず、更に昭和一五年以後も十三部落が本件土地の管理を継続していた事実があるから、右売買契約は成立していない旨主張するので考えるに≪証拠省略≫によれば、右売買契約において契約書が作成されなかったのは、十三部落の側では、同部落が前記三ヵ町村の神戸市合併直前に長峰山の土地の一部を他に売却したときの前例より、又原告は同人が石井部落より溜池を買受けた時の例に鑑み、右売買契約が成立すれば、神戸市長は十三部落の意思にもとづき遅滞なく手続を進め、原告に対し売買代金を市金庫に納付すべきことを命じ、納付が完了すれば、直ちに所有権移転登記手続の嘱託をなしてくれるものと予想していたので、双方とも特に契約書を作成しなくても、後になって右売買契約について紛争を生ずることはあるまいと考えたためであること、又十三部落側に於ては一刻も早く現金が欲しかったので、公租公課の支払い、地代の領収、果実の取得等は、即刻所有権移転登記をし、代金を受取ったときに清算すれば良い(即ち当事者間では代金支払までの権利関係は民法第五七五条の趣旨に従い処理するとの暗黙の合意があったものと考えられる)と考えていた処、前記のように神戸市側が登記の手続を為すことを渋り中々実行をしないために本件土地の登記簿、土地台帳上の名義人は依然として十三部落であった処から第三者(特に神戸市等の官公庁)に対する関係では右部落が所有者として扱われ、或は所有者として行動しなければならなかったとの理由からであること、以上の事実を認めることができるのであるから、被告神戸市主張の前示事実もいまだ前記認定の如き、原告と十三部落間の売買契約の成立を覆すには足りず結局前記売買契約の成立に伴ひ本件土地の所有権は原告に移転したものといふべきである。

第三、本件第一物件に対する山田村の村税滞納処分による差押、公売および右競落人からの原告の転得について

兵庫県武庫郡山田村が、昭和一九年一二月一日、右山田村の区域内にある本件土地の一部に対する昭和一九年度の村税地租附加税三一円七〇銭(督促手数料等を含む)を十三部落が滞納したとして、右部落名義の第一物件について差押をなし、同月一八日訴外山下多市郎なる者が公売により右物件を落札したこと。そこで原告は右同日右訴外人から第一物件を代金二万円で買受けその旨の登記を経由した事実は当事者間に争がない。

ところで、原告は、右の差押、公売の手続によって第一物件の所有権を喪失し、右物件を訴外山下から買受けることによって、再びその所有権を取得した旨主張し、被告神戸市は右滞納、差押、公売等の各行政処分には重大且明白な違法があり無効である旨主張している。

しかしながら、仮りに右の各行政処分が被告神戸市主張の如き事由により無効なものであったとしても、それが第二認定の如き原告と十三部落間の右売買契約に対し影響を及ぼすものではないし、また、右各行政処分が有効であるとすれば、原告は第一物件について二個の取得原因にもとづきその所有権を取得した(実質的にみれば、原告は競落人からの転得により第一物件についてそれまで欠缺していた対抗要件を備えることができたといっても何等差支えはない)という結果になるだけのことなのであるから、いずれにしても、右行政処分の有効、無効に拘らず、原告が第一物件の所有権を取得したことに変りはないというべきである。

以上の次第であるから、当裁判所は、当事者双方の争う右各行政処分の効力は爾余の争点についての判断に直接関係がないものと認め、この点に関しては特に判断しないこととする。

第四、被告神戸市の告訴と覚書による契約について

一、(争いのない事実)

被告神戸市の元市長野田文一郎が前記十三部落の山田村に対する村税地租附加税の滞納、山田村の第一物件に対する差押、公売、訴外山下の右物件の落札および原告の転得という一連の手続に犯罪の嫌疑ありとして、十三部落年番都賀順之助、山田村長高田省三を被告訴人として神戸地方裁判所検事局に対し告訴をなしたこと、原告主張の如き昭和二〇年八月三一日付の覚書と題する書面が作成され、被告神戸市が本件土地の所有権を取得する旨の契約(以下覚書による契約と略称する)が成立し、被告神戸市が同年九月五日本件土地について所有権移転登記を経由したことはいずれも当事者間に争いがない。

二、(覚書による契約の内容およびその当事者)

先ず、原告は覚書による契約について、該契約は十三部落が第二物件を、原告が第一物件をそれぞれ被告神戸市に譲渡し、被告神戸市は右各物件の所有権移転登記完了と同時に右部落に譲渡代金四五万五、〇〇〇円を支払うという内容のものである旨主張するが、右の事実は譲渡代金額の点を除き本件全証拠をもってしてもこれを認めることができず、却って、≪証拠省略≫を総合すれば、昭和二〇年八月三一日、原告、被告神戸市および十三部落の三者間に、それぞれ

(1)  原告と十三部落間においては、両者間に昭和一五年四月三日成立した本件土地についての前記認定のごとき売買契約を合意解除する。

(2)  十三部落は被告神戸市に対し本件土地を四五万五、〇〇〇円で売却する(本件土地のほか約二、〇〇〇坪の土地も売買物件となっていたようであるが、本訴では問題となっていない)。

(3)  十三部落は原告に対し、同人が第一物件を訴外山下から転得するについて支出した二万円その他同人が本件土地に関し支出した諸費用を補償する意味で右売却代金のうち五万円を支払う。

(4)  原告が登記名義人となっている第一物件については、便宜中間省略登記として、原告から被告神戸市に対し直接所有権移転登記手続をなすこと。

という内容の契約が成立した事実を認めることができ、更に右掲の証拠に≪証拠省略≫を併せると、原告と被告神戸市との間には、右中間省略登記をなすため、原告が第一物件を神戸市に無償譲渡する旨の契約書(乙第三号証)が作成され、昭和二〇年九月五日、第一物件については原告から第二物件については十三部落から、それぞれ被告神戸市に対し、その所有権が譲渡された旨の登記がなされ、同日被告神戸市は十三部落に対し四五万五、〇〇〇円を支払ったことを認めることができる。

なお、証人中井一夫は、覚書による契約の当事者は被告神戸市を代表する神戸市長中井一夫、十三部落の財産管理者たる神戸市長中井一夫、原告の三名である旨証言しているが、同証人の証言も、その全体を通じてみれば、形式的な資格の問題は別として、実質的には被告神戸市が右覚書による契約により本件土地を十三部落(十三部落各村民の代表者たる各協議会長の承諾を得て)から買受けたとの事実を否定する趣旨のものであるとは考えられないから、特に右認定の妨げとなるものではないというべきである。

又被告神戸市は、右覚書による契約は原告と被告神戸市との間における本件土地の所有権の帰属に関する争いを解決し、原告は本件土地について一切の権利を有しないことを確認し、被告神戸市は十三部落から右土地を四五万五、〇〇〇円で買受ける趣旨の和解契約であり、契約当事者は被告神戸市を代表する神戸市長中井一夫、十三部落の財産管理者たる神戸市長中井一夫および原告の三名であって、覚書と題する書面に十三部落各協議会長が署名捺印しているのは契約の当事者としてではなく、利害関係人として署名捺印しているにすぎない旨主張するのであるが、かくの如き主張が、にわかに採用できないことは当裁判所が先に認定した諸事実に照らし明らかである。

三、(覚書による契約の無効、取消)

そこで、以下覚書による契約が無効又は取消しうべきものであるとの原告の主張について順次判断する。

(1)  先ず、原告は、十三部落は本件土地を神戸市に譲渡するに際し、何等の正式の意思決定をしていない旨主張するが、原告の右主張事実は本件全証拠をもっても認めるに足りず、却って≪証拠省略≫を総合すれば、昭和一二年三月二七日神戸市会に於て神戸市裏山開発に関する統一機関設置決議が行われたがその内容とする処は、神戸市の裏山を形成している各部落有山林を(本件土地をも含めて)神戸市へ移譲を受ける事であって、右決議以来歴代市長は神戸区葺合区等の区有若くは部落有山林を買収し、本件土地についても、神戸市を譲受くる方針を定め、昭和一五年本件土地が十三部落から原告へ譲渡せられた当時部落代表者が所有権登記手続につき協力方を懇請した際にも神戸市が買受ける方針であること、他の者に売る場合は同価格で買取るべき事を市当局者は部落代表者等に話して居り、部落代表者も神戸市が、予てから本件土地を買受けたいとの熱意を有することは知悉して居たが、神戸市へ売った場合は代金を一時に全額貰へないという事などから原告へ売る事になったのであるが、こうした経過を経て昭和二〇年八月末頃、十三部落連合協議会長都賀順之助、五毛協議会長山口寛治郎、原告の三名は、当時の神戸市長中井一夫から、戦災を受けた神戸市がその復興のために本件土地を十三部落より買受けて神戸市のために用ひたいので、これに協力して右土地を神戸市に売却してもらいたい旨の申入れを受けた際にも原告を除く他の二名には格別目新しい事ではなく、原告としても昭和一五年以来市当局が本件土地に関する登記手続を渋滞している事由が何処にあるかという事は充分知悉していたと認められること、又当時同人等は前記告訴事件に関し検察当局から取調べを受けていたので、神戸市が右告訴を取下げてくれるのであれば、右申入れに応じてもよいと考えるに至り、右売却に同意したこと(右の同意が中井市長の強迫にもとづくものでないことは後に認定するとおりである)、このような経緯から、同年八月三一日、覚書と題する書面が被告神戸市によって作成され(右覚書には十三部落が本件土地を四五万五、〇〇〇円で被告神戸市へ売却する旨の記載がなされている)、右覚書に原告および十三部落各村の協議会長(又は副会長)の殆ど全員が署名捺印したこと、又十三部落の各村は、右覚書作成後まもなく、被告神戸市から十三部落に対し支払われた本件土地の代金中より、各々二万八、〇〇〇円宛の配分を受け、各村の協議会長は各一、〇〇〇円、副会長は各二〇〇円の金員を記念品料として受け取ったこと、そして各協議会長のうち右の如き配分について異議を述べた者はなかったこと、以上の事実を認めることができるのであって、右認定の事実からみれば、各部落の協議会長は全員、十三部落が本件土地を被告神戸市に売却することについて同意していたものと考えるのが相当である。

(2)  次に、原告は、神戸市が本件土地を取得するについて、市会の議決等適法な手続を履践していない旨主張するので判断するに、≪証拠省略≫によれば、神戸市が本件土地を取得した昭和二〇年八月当時の市制(昭和一八年法律第八〇号による改正第四二条)によれば、財産の取得は市会の議決事項ではなく、市会は財産の取得に関する規則を設ける権限を有するにすぎなかったことを認めることができ、更に≪証拠省略≫によれば、神戸市においては、右財産取得のための規則の一として、神戸市特別不動産資金規則(昭和一九年八月一日制定神戸市規則第五五号の一)および右規則の施行細則(昭和一九年八月一日制定神戸市規則第五五号の二)が存在したことを認めることができる。

そして、≪証拠省略≫を総合すれば、被告神戸市は神戸市特別不動産資金規則およびその施行細則に定める神戸市特別不動産資金運営委員会の議決を経て本件土地を取得したことを認めることができるのであって、以上認定の事実によれば、本件土地を取得するについて、被告神戸市には適法な手続の履践について缺けるところはなかったというべきである。

なお、原告は、右資金規則は資金の設置およびその予算運営について規定したものであって財産の取得の手続については規定していないと主張するのであるが、右の主張が理由のないことは、右資金規則施行細則第二条「本資金ニ依リ不動産ヲ取得セントスルトキハ交通局長ハ委員会ノ議ヲ経テ価格決定其ノ他ノ手続ヲ為スベシ」との規定によっても明らかといわねばならない。

即ち原告が主張する如く右資金規則が資金の設置およびその予算運営についてのみ規定しているのならば、右委員会が財産取得についての最も重要な事項である価格決定の権限を有していること自体が不合理といわねばならないし、又原告の主張するところによれば、財産の取得それ自体は右資金規則とは別個の規定によらねばならないことになるが、神戸市が右資金規則等の制定に際し、同一の財産の取得について二個の市規則が適用されるが如き事態を予想していたとは到底考えられないからである。

尤も≪証拠省略≫によれば昭和十九年四月一日及同月一七日に、神戸市財産及工事執行規則及神戸市不動産取扱規則が制定され同規則にも財産の取得に関して規定を設けているが、本資金規則は右の二規則の制定された後である昭和一九年八月一日制定、施行されて居り、而もその第六条には、「本資金ニ依リ取得シタル不動産ノ管理運用ニ関シテハ前各条ニ定ムルモノヲ除キ神戸市財産及工事執行規則並ニ神戸市不動産取扱規則ノ規定ヲ準用ス」とあり明かに本資金規則を先に適用すべき事をうたっている。依て此点に関する原告の主張も理由がない。

(3)  次に、原告は、覚書による契約は被告神戸市の市長中井一夫が原告および十三部落を強迫したのでやむを得ず締結したものであるからこれを取消す旨主張するので、以下この点について検討する。

先ず、≪証拠省略≫を総合すれば、前記認定の如き神戸市長からの告訴を受けた検察当局は、昭和二〇年六月頃から右告訴事件の取調を開始し、原告十三部落連合協議会長都賀順之助および五毛協議会長山口寛治郎等は任意出頭の上主任検事岸本静雄の取調を受けたこと、原告に対しては同年六月に一回、八月に一、二回取調べを行っていること、同検事の告訴事件に対する態度はかなりしゅん烈であって、他の関係人を取調べた後、同年八月二十日頃には原告に対し、場合によっては身柄の拘束等、強制捜査を開始するようなことになるかもしれない、そのような事態になる前に神戸市当局と接衝して告訴を取下げてもらったらどうかと示唆するに至ったこと、原告は同検事の右の如き言動に驚き早速都賀、山口と共に当時の神戸市長中井一夫を訪れ、告訴の取下げを依頼したのであるが、同市長の告訴事件に対する態度は強硬であり、不正を働いているからこそ告訴されたのだとの言葉で同人等を叱責したため、告訴の取下げを懇請することは困難な状況にあったこと、原告は検事および中井市長の右の態度からみて、このままでは同人は勿論のこと都賀、山口等も或いは身柄を拘束されるかも分らないので、この際予ての中井市長の申入れに応じたならば告訴を取下げて貰えるものと考え、被告神戸市が本件土地の所有権を取得することを承諾し、都賀、山口も原告が右の如き態度に出る以上、十三部落が本件土地を被告神戸市に売却するについて異議を述べる筋合ではないと考えるに至ったこと、以上の事実を認めることができ、≪証拠省略≫中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

そして右認定の事実によれば、かりに刑事事件として検察当局から取調べを受けているといっても、何れも任意出頭に基く取調べであり、家宅捜索などの強制捜査も行はれて居らず、且原告は被告訴人ではないし、前記告訴事件について、原告が被告訴人等の被疑事実につき無関係であることは原告の主張する処であるから検事の言動や市長の態度如何に拘らず何等畏怖するに足りないものといふべく、又検事の前記言動に畏怖心を生じたとしても原告が主張するごとく、右中井市長が検察当局と結び、被告神戸市が本件土地を取得することを原告が承諾しなければ逮捕拘留をなさしめんとする勢を示し強迫したというが如き事実は本件全証拠をもってしても認めるに足りないし、却って≪証拠省略≫によれば、前記認定の如く、昭和一五年三月本件土地を原告に売却した十三部落は、その後再三に亘り神戸市長に対し、原告に対する本件土地の所有権移転登記手続を願出ていたのであるが、前述のように神戸市長は背山は市に統合せよとの市是にもとづきこれに応ぜず、十三部落に対しては、本件土地を被告神戸市に売却するよう求めていたこと、ところが昭和一九年に至り十三部落は山田村に納付すべき村税わずか三〇円余を滞納し(少なくとも右税額に相当する金銭を十三部落年番が保管していたことは証人都賀順之助の証言に照らし明らかである)、山田村長は右滞納金を徴収するため、他に低価な不動産があるにも拘らず、右滞納税額に比し過大な価値を有する地積約一〇〇町歩の第一物件を差押え、同年一二月一八日右物件を公売に付し、山田村会議員の訴外山下多市郎は右同日これを二万円で競落し、原告は即日これを右山下から同価格で買受け、翌一九日その旨の登記手続を経由した事実を認めることができるのであるから、右認定の事実によれば、本件土地を神戸市の一部有財産と考えていた(その当否は別として)被告神戸市当局が、これら一連の手続を、村税滞納処分による競売に仮託し原告に第一物件を取得させる目的で行われた不正、違法なものであると考え、関係者の行為が犯罪を構成するものとして告訴をなしたとしても、これを不合理な推測にもとづく不当な告訴であると即断することはできないし、又右の事実を知っていた中井市長が、前記認定の如く原告等を叱責したとしても、不正を憎む気持から出たものといふべくそれによって、原告等を畏怖させ本件土地を不正に取得しようとする意図に出たものであると考えることはできないというべきである。

尚≪証拠省略≫によれば原告は右覚書による取引の結果、十三部落に支払はれた四五万五千円中より、五万円を何等異議を止めず受領してゐるのであるから、(此点に関する原告本人の供述は措信しない)いずれにしても、原告の右強迫の主張が理由のないことは明らかである。

(4)  次に、原告は、右覚書による契約は被告神戸市が告訴権を濫用し、不当に低廉な価格で本件土地を取得することを目的として原告との間に締結したものであるから公序良俗に反し無効なものである旨主張するが、右告訴が原告の主張するが如き意図のもとになされたものでないことは前段認定のとおりであり又その価格が当時の時価に比し不当に廉価であるといふ事については、何等之を認むべき証拠はない従って右原告の主張が採用できないことは最早説明を要しない。

(5)  なお、原告は、原告および十三部落代表者は山田村のなした第一物件についての公売が無効なものと考え覚書による契約を締結したものであるが、右公売は有効なものであるから、同人等の意思表示は錯誤により無効である旨主張する。しかしながら、本訴では原告等が山田村のなした公売を無効なものであると考えて右契約を締結したとの事実すらもこれを認めるに足る証拠が存在しないのであるから、原告の右錯誤の主張は公売の有効、無効について判断するまでもなく理由のないことが明らかである。

(6)  最後に、原告は、右覚書による契約はその内容が不明、不確定であり契約当事者を拘束する効力が認められない旨主張するが、右契約の内容が、本件証拠をもって認定しうる契約成立当時の経緯および覚書と題する書面の記載を総合斟酌することによって確定しうることはすでに本項二、において認定したところであるから、右主張の理由のないことは明らかである。

なお、原告の右主張は要するに証拠方法としての覚書(甲第六号証)の記載が不明確であるということに帰着するものと考えられるが、右覚書の記載は、覚書による契約の内容を確定するための重要な資料ではあっても、それが唯一のものではないのであるから、右の記載中に多少不明確な点があったとしても(一般的に、契約書記載の文言に不明確な点の存しないことの方がむしろ稀である)、その故をもって、直ちに該契約の内容が不明確であり、当事者を拘束する効力がないと即断することはできない。

第五、(結論)

以上認定のとおりであるから、結局本件土地の所有権は昭和二〇年八月三一日付の右覚書による契約により訴外十三部落から被告神戸市に移転し(十三部落、原告間の昭和一五年四月三日付売買は右契約によって合意解除された)、原告は現に右所有権を有しないものという外はない。

よって、原告の、本件土地につき所有権を有することの確認の請求、および右所有権を有することを前提とし、これにもとづきなす爾余の各請求は、爾余の判断を俟つ迄もなく、いずれも理由がないことに帰着するから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 山田常雄 裁判官 井上広道 裁判官山下顕次は退官のため署名捺印できない。裁判長裁判官 山田常雄)

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